―社会理論と経験的社会研究
タルコット・パーソンズ後 50 年
あるいは、ある大学教員人生
12.東京都知事選挙と民主政
池子米軍家族住宅建設反対運動が、まさに国の力で押し切られ、運動体が分裂していく結末を知り、社会調査の研究テーマは、仕事場の東京をフィールドとするようになっていった。
その始まりは、まだ逗子の調査も続行中であったが、1991年東京都練馬区の区長、区議会議員選出の構造を描くことであり、選挙人名簿から対象者を抽出するアンケート調査と、自由回答で応じてくださった対象者へのインタビュー調査であった。これもたいへん充実した調査実習であった。
このとき、1991年東京都知事選挙で、自由民主党が本部と東京都連とで分裂するという事態に興味を持ったことがきっかけであった。そして東京都連が押した鈴木俊一知事がバブル景気とともに財政回復を実現し、世界都市博覧会を構想していた時代であった。
しかし、間もなくバブル崩壊とともに、失われた時代が始まり、1995年には、青島幸男が当選する。さらに、1999年には、石原慎太郎が当選し、東京都知事とは、あるいは東京都民の意識とはということに、大いに興味を覚え、1999年には、6000人規模の郵送調査を実施した。
郵送調査を実施したのは、苦肉の選択でもあった。やはり社会調査実習での調査であったので、調査員となった学生が回収に行くのがよりよいことであったが、その前年、港区で実施した調査では、オートロックマンション、表札を掲げない家など、世の中が変わりつつあり、また学生自身が、社会調査に対して、とりわけ回収するために訪問するということに、かつての熱意が薄らいでしまったと感じたこともあった。
郵送調査で回収率は2割強でしかなかったが、調査規模を大きくしたことにより、自由回答も多くの意見が得られ有益な調査実習であった。
21世紀に入ると、選挙人名簿の閲覧が厳しく制約されるようになり、そこからのサンプリングが難しくなり、住宅地図からのサンプリングなどを実施していったが、長く続けてきた社会調査実習の実施が困難な時代となっていった。
そうした変化を踏まえて、社会学のカリキュラムを大いに議論すべき時であったが、残念ながら、そうした機会を得ることはなかった。
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