―社会理論と経験的社会研究
タルコット・パーソンズ後 50 年
あるいは、ある大学教員人生
9.「緑の人々」と
池子米軍家族住宅建設反対運動
1987年、文学部社会学専修の専任講師にしていただき、教壇に立つことになった。
講義「社会学研究」(第一文学部)では、ハーバマスに基づいた意識論の言語論への転換を講じ、講義「社会学」(第二文学部)では、前期はコント以来の学史、後期は社会階層調査の構造などを講じた。
演習「社会研究」(第二文学部)では、上野千鶴子『主婦論争を読む』(勁草書房)などをテキストに議論をした。「教養演習」(第一文学部)では、村上泰亮『新中間大衆の時代』(中央公論社)を中心に西部邁の著作などをテキストに議論をした。
充実した教員人生が始まったが、何よりも「社会学演習U」(第一文学部)、これは社会調査実習であり、テーマに、ちょうど日本中で話題となっていた神奈川県逗子市の池子米軍家族住宅建設反対運動を選んだ。まさに「新しい社会運動」の事例として考えたからである。
選挙人名簿から抽出した女性市民1298人へのアンケート調査(回収618票)とともに、運動に参加する「普通の主婦」とされた人たちへの64人に長時間インタビュー調査も実施した。
この調査実習は、参加してくれた22人のたいへん優れた学生により可能となったものであり、また逗子市と私との人生にわたる関係を作り上げることになった。有り難いことに、卒業後も、しばしば集まり楽しい時間を過ごしてくれる貴重な友となってくれた。
調査実習は、調査に直接、学生が関わり、まさに社会と接触するというところに大学での貴重な経験であると同時に、優秀な学生により、得られるデータは最高水準のものであり、経験的研究を授業とともに進めていくことができる理想的環境であった。
逗子の池子米軍家族住宅建設反対運動は、その後2度、1989年度にはさらに大規模なアンケート調査(男女1600人対象、回収882票)、1990年度には全体の詳細整理を行ない、合計3回の調査と分析を行なった。
成果は、1988年早稲田大学で開催された第61回日本社会学会大会の環境部会で、飯島伸子先生(東京都立大学教授、環境社会学会会長)の司会のもと最初の報告をさせていただいた。その後、蓮見音彦先生(東京大学教授)、似田貝香門先生(東京大学教授)に誘われ、1991年5月に東京大学で開催された地域社会学会大会で報告をした。
「池子米軍家族住宅建設反対運動の組織と環境に見る今日の《転換期》について ―〈緑〉の意味論(Semantik)序説」(第16回地域社会学会大会シンポジウム報告)として詳細な報告をすることができ、「池子米軍家族住宅建設反対運動に見る今日の〈転換点〉 ―1987年市長選後の面接調査結果から」『年報地域社会学』(地域社会学会、第6号p.133-6, 1994年5月)として活字化した。
さらにその後、私自身の単独の追インタビュー調査と、調査をさせていただいた対象者全員への郵送調査を実施した。
長年の調査のまとめとして、「運動体の分解と運動の意味 ―1994年12月逗子市長選挙の調査結果から」を、1996年7月に奈良女子大学で開催された第21回地域社会学会大会で報告し、一連の成果のまとめとしたが、報告について、北川隆吉先生(名古屋大学名誉教授、法政大学教授)から、運動と、それへの私の観察者的立場、すなわち社会運動への認識の客観性ということに強い批判を向けられ、会場で大変な激論となった。
ただし、激論は、新たな出会いを作ることになった。北川先生が企画された東信堂による『シリーズ 世界の社会学・日本の社会学』の1冊『アルフレッド・シュッツ ―社会的世界と主観的時間』を、私にお願いするという、激論とは正反対の格別の依頼を受け、意見は言うべきものだと改めて思った。
そしてこれが、出版社東信堂に、長くご贔屓にしていただく関係の始まりとなった。
他方、逗子で実施してきた一連の調査研究の成果は、1996年御茶の水書房から『逗子の市民運動』として研究書にすることができた。
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