フィールドとアーカイブ

―社会理論と経験的社会研究
タルコット・パーソンズ後 50 年
あるいは、ある大学教員人生

 

 

8.学会と研究会
 そういう問題を、1982年10月、神戸大学で開催された第55回日本社会学会大会で「システム理論と批判理論」として報告した。初めての学会報告であった。佐藤嘉一先生(金沢大学教授、後に立命館大学教授)が司会され、私の報告にたくさん手が挙がった。


 富永先生が、ハーバマスにはマルクスがあるが、それとシステム論がどうして一緒にできるかと、また逆の立場から庄司興吉先生(東京大学教授)が、構造―機能主義、システム論と弁証法を同列で論じることができるのかと、質問、批判をいただくことになった。

 また、結論としていた「討議と合意」の社会の例として、ドイツ緑の人々の例に触れたことについても、多くからよくわからないというコメントをいただいた。

 ただし、ハーバマスは、著作ではっきりと「新しい社会運動」ということを掲げており、それはそれまでの労働運動とは違う社会運動が出現していることに着目しており、私も、そういうドイツの姿を、日本の将来に期待したかった。


 翌1983年、埼玉大学で開催された第56回日本社会学会大会でも「真理の合意説について」報告をした。司会者は、新睦人先生(奈良女子大学教授)であり、畏友西阪仰さん(早稲田大学大学院、後に明治学院大学教授、千葉大学教授)と同じ部会で報告をすることができた。


 私としては、「討議と合意」のプロセスをさらに理論的に明瞭にしたかった。とりわけハーバマス、1973年「真理諸説」(“Wahrheitstheorien“)を精読し、模写説にはじまり、真理の対応説、真理の整合説、そして真理の合意説についてたくさんのことを学んだ上での報告であった。


 この報告には、塩原勉先生(大阪大学教授)からハーバマスの研究領域の広さについて、徳永恂先生(大阪大学教授)からは、ハーバマスの立論は基本的には物象化論のはずだが、それとシステム論を素朴に重ねることについて問われた。

 新先生からは、この出逢いに始まり、とくに日本社会学史学会をつうじて、永年にわたり、いろいろなことで目をかけていただき、感謝しても感謝しきれない。


 真理諸説に関連して、1982年11月、金沢大学で開催された日本社会学史学会大会で、「認識批判とオーストリア・マルクス主義」について報告したが、これはオットー・ノイラートの真理の整合説についてであった。


 神戸大学、埼玉大学での報告は、「システム理論と批判理論 ―J.ハーバマスと現代社会理論」『社会学年誌』 (早稲田社会学会 24号pp.1-18, 1983年3月)ならびに、「批判としての社会的行為論 ―ハーバマスのコミュニケーション行為論について」『社会学評論』(日本社会学会35(3) pp.333-48, 1984年12月)として活字となった。

 金沢大学での報告も「認識批判と統一科学 ―1920年代のオーストリア社会学」『社会学史研究』(日本社会学史学会 第6号p.48-61, 1984年3月)として、論文化することができていた。これについては、廣松渉先生(東京大学教授)、野家啓一先生(東北大学教授)ら、日本を代表する哲学者からもコメントをいただくことができ、嬉しかった。

 大会ごとに出されている分厚い『日本社会学会大会報告要旨』、その表紙の体裁は、今も当時とまったく同じままであるが、報告者が提出した要旨、今はきれいにワープロで印字されたものが収められている。当時は手書きであった。稀に和文タイプライターのものがあっただけであり、会場で配布するレジュメも、手書きであった。


 すでに富士通のオアシスなどの事務用ワードプロセッサーは存在していたが、とても個人で購入するのには高価であったとき、キャノンがキャノワードという個人向け機種を発売した。

 欧文タイプライターの体裁に、わずか1行の液晶画面がついたものであったが、投稿し審査で朱が入り、添削、修正し、その度に、原稿用紙に最初から書き直し、さらに清書する作業を軽減するために、当時も、そして今考えても高価であるが、30万円近くするも、いろいろな知り合いを介して少し安く購入することができ、その導入は、ある意味で、革命的なことであった。


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 制度化された主要な学会とは違い、インフォーマルな関係では、鈴木幸寿先生(東京外国語大学教授)、茨木竹ニ先生(東京家政大学教授)が主催されていた「ドイツ社会学研究会」、木前利秋さん(東京大学大学院、後に大阪大学教授)が主催されていた「批判理論研究会」が、当時の私には、きわめて重要であった。


 ドイツ社会学研究会との関わりでは、茨木先生のさまざまなコネクションをつうじて、シュルフター、テンブルック、マッテスらドイツの著名な社会学者たちと関わる機会を得ることができた。とりわけ、ヨアヒム・マッテス教授ご夫妻とは、京都、奈良への旅行をご一緒することができ、たくさんの情報を教えていただき、それはそれは有り難かった。

 批判理論研究会は、さまざまな読書会を一緒した西阪仰さんに、紹介していただき、毎週日曜日、さらには水曜日も、行われていた早稲田奉仕園の会議室に通った。中尾健二さん(静岡大学教授)、中野敏男さん(東京大学大学院、後に東京外国語大学教授)、岩崎稔(早稲田大学大学院、後に東京外国語大学教授)、初見基(東京都立大学大学院、後に日本大学教授)ら、錚々たる方々から、たくさんの刺激をいただいた。

 ハーバマスを軸に、ヴェーバー、アドルノ、ホルクハイマーらを徹底的に学ぶ機会を与えていただいた。その成果は、藤原保信・三島憲一・木前利秋編『ハーバーマスと現代』(新評論 1986年)であり、たいへん充実した5年間であった。


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 また、土方透さん(中央大学大学院、後に聖学院大学教授)との関係で、1986年9月には、早稲田大学の会議室で、若い私たちと、ニクラス・ルーマンとの研究会を催した。午後から深夜まで、途中、居酒屋に移動しての研究会で、ルーマンは最後まで付き合ってくださった。


 馬場靖雄さん(京都大学大学院、後に大東文化大学教授)、西原博史さん(早稲田大学大学院、後に早稲田大学教授)、徳安彰さん(東京大学大学院、後に法政大学教授)、田中耕一さん(早稲田大学大学院、後に関西学院大学教授)ら、それはそれは優秀な同年輩と刺激し合える時を大いに体験した。


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 当時は、西武池袋線桜台と練馬の間にある狭いアパート、本箱だらけの中に住んでいたが、たいへん充実した幸せな時であった。ハーバマスの論文「真理諸説」も、同じく西武池袋線清瀬駅前のベンチで、アルバイトが始まるまでの時間を惜しんで読んでいた思い出がある。


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 助手2年目となる時、同じく大泉学園から徒歩30分、三原台にある賃貸マンションに移った。初めて洗濯機を買い、エアコンを丸井のクレジットで手に入れた。

 


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◇「消えゆく前に ―ウィーンの森の物語」から◇

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