フィールドとアーカイブ

―社会理論と経験的社会研究
タルコット・パーソンズ後 50 年
あるいは、ある大学教員人生

5.大学院
 1979年4月、大学院に入学した。その3月、入学試験があったのだが、試験教室で緊張して始まるのを待っていたら、隣に座った受験生、女性だったが、「すみません、時計を忘れてしまったので、時計を机の間に置いてくれませんか」と頼まれたのだった。


 今であったら、ありえないハプニングに遭いつつ合格した。論述試験の問題は、「客観性と価値関係づけ」についてであった。


 マスプロ教室がなくなり、少人数の演習での議論を期待していたが、まず感じたこと、それは一緒に入学した多くが感じたことだろうと思うが、「シュッツ、シュッツ」と、同学年の、のちにエスノメソドロジーの代表的研究者となる山崎敬一(埼玉大学名誉教授)、先輩で、のちに社会理論学会を創設する西原和久(名古屋大学名誉教授)、すでに新潟大学に赴任していた那須壽(早稲田大学名誉教授)らが、異口同音に唱えていることであった。これには、いささか閉口した。

 ひとつ面白かったのは、指導教授の秋元律郎先生の演習で、先生の御著書『日本社会学史』(早稲田大学出版会 1979年)が刊行されて間もなくであったこともあり、日本社会学史を大いに学ぶことができた。

 その初回、私の報告は、米田庄太郎『現代智識階級と成金とデモクラシー』であり、これは現在に至るまで、極めて重要な出会いであった。

 作田啓一『価値の社会学』、そしてロバート・ベラーTokugawa Religionも報告した。これらは、パーソンズとの関係でもあり、構造があり、そこにどう個人、集合体が編成されているのかという「文化的価値と、地位ー役割の関係づけ」というオーソドックスな理論のロジックであり、このことを改めて辿ることになった。


 もうひとつためになったのは、長田攻一先生、坂田正顕先生(ともに早稲田大学名誉教授)が担当されていた第一文学部の社会学実習を、ティーチング・アシスタントとして手伝わせていただいたことだった。

 「大学生の社会意識」について、学部比較をすることができる設定で、大きな授業を選び、担当の先生にお願いして集合調査をするものであった。分析結果は覚えていないのだが、当時は、まだ手集計をしていた。これは今から思うと驚く。電卓も高価な時代であった。

 それと、集合調査が引き起こした問題である。授業の一部をあてて調査に協力していただくということで、票は集まるのだが、授業そのものではない。結果、お願いしていた先生が、授業ができない、長すぎると怒りだしたのであった。


 元オリンピック選手でもあり有名な先生であったが、授業も毎回、精密にきっちり、まさに秒単位で進められている、そういう講義があるのだと改めて感心した。理論経済学の講義であった。


 そんなとき、東京大学正門近く福本書院で、ハーバマスとルーマンによる『社会理論か、社会テクノロジーか』(Theorie der Gesellschaft oder Sozialtechnologie -Was leistet die Systemforschung?, Suhrkamp 1971.)という書と出会った。


 直感的に、ハーバマスは、構造−機能主義を批判するも前提にしているが、ルーマンは、社会システム論と言いながら、構造−機能主義は誤りだとしており、新しい発想で社会システム論を始めていると理解した。
パーソンズ以降という関心で、ふたり、とりわけハーバマスを軸に学んでいくことにした。

 


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◇「消えゆく前に ―ウィーンの森の物語」から◇

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