フィールドとアーカイブ

―社会理論と経験的社会研究
タルコット・パーソンズ後 50 年
あるいは、ある大学教員人生

 

21.大学院研究指導
 1990年代、大学政策の変更により、旧帝国大学の大学院化が始まり、それに倣って、早稲田大学も学部と研究科を併せて「学術院」という自前の制度で対応することとなったし、その頃、教務にかかわっていた。ただし、個人的な感覚から言うなら、膨大な数の学部生の授業料収入で成り立っている私立大学ということを考えれば、やはり中心は学部教育だろうと思った。


 私は、相対的に若かったということもあろうが、1999年まで社会学教室で最年少であったので、後から嘱任してきた博士号を持っていない教員であっても、年功序列により大学院担当となるも、私自身はそのまま学部担当教員であった。


 それは、それで、給与の前提が膨大な数の学部学生の授業料が原資だと知れば、とりわけ不満はなかったが、大学教員とは、権威が好きで、名刺に「大学院教授」などと刷りたい人ばかりである。


 1997年度に「社会学特論」、1998年度「社会学演習」、そして1999年度から「社会学演習」と「社会学研究指導」を担当し、大学院にも関わるようになったが、2014年に、ジョイント・セミナーのところで触れたが、大学院教育からは退任することにした。


 その間、修士論文については、主査5本、副査は大学院担当する前も含めて22本の審査をしてきた(本稿末参照)。所属した文学研究科がアカデミック・スクールであり、実用的なビジネス・スクールではないゆえに、基本は学者養成という機能しか持っていない。


 安くない授業料を考えれば、入学試験において、あるいは学部卒業論文により、ほぼ将来への可能性が決まっていくことを考えれば、人数だけ増やすことには大いに責任を感じて、そもそもの担当が私には不適であった。それほど、優秀な研究者でも教員でもなかったからであるし、弟子を作ることが主目的の人たちとは距離を置きたかった。


 ただし、唯一の例外、すなわち私自身の研究関心との関連で、卒業論文、修士論文を踏まえて博士論文を仕上げた優れた人がおられる。


 2011年博士学位を取得することになった、多田光宏先生(熊本大学教授)による博士論文「社会的世界の時間構成 ―社会学的現象学としての社会システム論」という大作であり、2013年ハーベスト社から刊行されている。この研究は、私自身の関心と重なるが、独創的な展開であり、博士学位にふさわしい作品であった。


 私の大学院演習には、2008年には、面白いことにドイツから、「ニクラス・ルーマンの研究」をテーマに日本学術振興会給費留学生として、1年間、私の大学院ゼミで学び、ドイツに帰国し修士号を取得した学生もいる。


 博士論文について主査は、上述の一度だけだが、副査は、3度経験した。4人それぞれに、大学で専任教員に就いておられる。


 私の教員としての仕事の軸は、繰り返しになるが、学部において、学生たちに出会いを提供することであり、それは例えば学問であり、例えば海外、国内の、どこかの時空であり、例えばかけがえのない友人ということであり、さまざまな通過点をつなぐものとしてだけあったということになろう。


 その結果、私の学部教育において学問と出会い、国立大学などに進学され、学位を取得し研究者となられ大学で教鞭を執られている方々を数えると、これまでに10人おられる。私の存在意味があるとしたら、そういう機会を得ることに、何らかのきっかけを提供できたかもしれないということで、これは有り難いことだと感じている。

 

 


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◇「消えゆく前に ―ウィーンの森の物語」から◇

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