フィールドとアーカイブ

―社会理論と経験的社会研究
タルコット・パーソンズ後 50 年
あるいは、ある大学教員人生

 

3.アルフレート・シュッツとの出会い
 1978年、卒業論文をまとめていた10月、日本橋の丸善でスプローンデル編纂の『アルフレッド・シュッツ タルコット・パーソンズ往復書簡』(Alfred Schütz, Talcott Parsons,  Zur Theorie sozialen Handelns, Suhrkamp 1977.)を見つけ、とりわけシュッツが、『社会的行為の構造』を要約しているところを知り、私の卒業論文の作業が、いとも簡単にまとめられているのに驚いた。


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 シュッツについては、その年度、下田直春先生(立教大学教授)の講義「社会学方法論」において、先生の著作『社会学的方法の基礎』(新泉社 1978年)を教科書に学んでいた。この講義、年度末試験、シュッツについてよりも、パーソンズについて大いなる評価をした。

 パーソンズに従えば、ライオネル・ロビンスの経済学の前提、自立し合理的に行動する経済諸主体の世界について、パーソンズはそれを原子論と批判していたのだが、そのロジックを、シュッツの理論を評価する場合にも受け売りした。

 パーソンズ側に立った評価であり、結果、この成績は、「可」であったし、たまたま友とフラメンコを観に行って、答案返却の最終回を休んだら、「森はどこにいる」と、凄い剣幕で言っていたぞと、後にマルジュ社に一時勤めた古川くんに、「マジで書くから、先生、お冠りだったぞ」と朱だらけになった答案を代わりにもらってきてくれた。

 下田先生は、早稲田大学第一文学部、大学院文学研究科で社会学を修めた、典型的な早稲田マンでもあり、出会いはショッキングなハプニングであったが、その後、私が研究者の道に進んでからは、永年にわたって可愛がっていただいた。

 後年、ロビンスが、オーストリア学派経済学、とりわけミーゼスの経済理論のイギリスでの代弁者だと知った。オーストリア学派は、パーソンズにとっては原子論なのかと思い、オーストリア学派とはそもそも何なのかと興味を持った。

 


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◇「消えゆく前に ―ウィーンの森の物語」から◇

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