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オーストリア社会民主党の治世「赤いウィーン」時代の代表的な公共住宅「カール・マルクス・ホフ」。1926年から30年にかけて作られた。南北1キロにも及び、1382戸を擁する巨大な集合住宅(本文178頁参照)。現在も使われている。1934年2月のオーストリアの内戦においては、社会民主党側の抗戦の砦となったが、陥落した。その後のオーストリア・ファシズム期、ドイツ併合下、さらに戦後長く「カール・マルクス・ホフ」の名称は使われないままになっていたが、1968年から、元のこの名称になった。