卒業論文の傾向
- とくに私が自らの関心の方向へと指導したわけではありませんが、1)社会運動・市民社会論・民主主義論を主題にするもの、2)社会科学方法論、とくに行為論、システム論、社会理論を主題にするもの、という二つが、1987年当時から現在まで、続いてきている傾向があります。
- 前者の特徴は、これまでの私の教員生活の前半に深く関わった、神奈川県逗子の池子米軍住宅建設反対運動の調査およびその実習に関係して、実習で行えなかった事柄をさらに詳しく卒業論文で扱った作品に代表されました。その中には、そのまま印刷をしてモノグラフとして専門雑誌でも十分に通用するほどの力作もありました。その後、このモチーフをひきつぎながら、横田基地騒音問題などをテーマに面接調査を独自に行っていたもの、あるいは民主主義論、代表制論を徹底的に理論的・歴史的に探求していったもの、さらにイデオロギー論として、社会民主主義について徹敵に調べ尽くしたものなど、経験的な社会調査をもとにした作品ではありませんが、きわめて質の高い作品が多数現れました。私としては、今この社会で生きていく上で、きわめて重要な思考実験をされたと考えています。
- 後者の傾向は、やはり私のもともとの研究関心であり、今も大学院の演習などで細かく扱っているテーマです。一方で学説史的に、M.ウェーバーやJ.ハーバマス、あるいはT.パーソンズや、とくに最近ではN.ルーマンなどを研究する作品、他方で理論的に、行為、時間、コミュニケーションなどを解明していく作品でした。どちらかというと、前者の方が多いですが、今後の傾向として、後者すなわち理論的に細かい論理を構築していくというものが増えていけばよいなぁと思っています。
- 量ということで言えば、「封じ込められた時間」(一文1998)がダントツで580枚。これに続いて、「脳死と社会」(一文1990)400枚。前者は、理論的な傾向にあるもの、後者は「脳死論争」を歴史的・経験的に収集・分析するという作業で、対照的な印象も与えますが、前者の場合にも、Parsonsの業績を原典から精密に訳しながら論じるという作業に徹しているという点で資料収集的であり、後者も収集整理した上で各著名論者の弱点を論理的に徹底的に追究していくという点ではきわめて理論的な作品であった。そうした意味では、理論的であることと、収集・分析作業の量は強い相関関係にあるのであろうと考えている。これは、何とも言えないところであるが、前者の作者は、現在、著名な社会学者となっておられる。後者の作者は、大新聞社の敏腕記者であり、そこからの派遣でアメリカの大学で学び、次代を担うジャーナリストとして活躍中である。
- これらに続くものは、「近代社会の合理化作用と「画一化」の問題」(一文1994), 「戦後日本の「主婦」意識」(一文1995)などであるが、これらの作者はいずれも、大学院に進学して、その関心をそのままさらに深めて研究者となっている。しかしながら、そうした方向だけが人生ではないことは言うまでもない。「逗子市池子を巡る人々とドイツ緑の人々」(一文1988年)、「社会民主主義のジレンマ」(二文1990)、「こころの距離・からだの距離」(一文1999年)なども、質とともに量もたいへんなものであった。最初の作者は、政府機関、次の作者は主婦、最後の作者は民間の出版・情報企業で、それぞれ活躍をされている。大学でなした学的な成果、人生のひとつの重要な節目となるものであろう。
- 社会学は時代の変化を反映しているはずである。いつまでも「マクス・ウェーバーが・・・・」の調子では、もはやありえない。とくに昨今の社会の変化の早さを考えると、古い歴史を丹念に調べ尽くしていく作業でさえ、現在の変化に対応できるように整理し編纂していないと、読み物としても劣化を余儀なくされているというのが、現在のアカデミックな世界での基本事情のように私は思う。
- そういう点で言うと、私が指導教員として担当してきた教員生活の前半に少なからず見られた「主婦論」は、「戦後日本の「主婦」意識」(1995)の大作を最後に見られない。これは、この大作の結論でもあるが、「主婦」がかつての「主婦」ということでの主題化ができないようになってきたことに関係しているように思える。女性の就業率の上昇、働き方、働かせ方の変化などが関係している。とくにこの作品自体が、変化をまとめてくれていたことが喜ばしい。新たに現れた作品傾向ということで言うならば、「こころの距離・からだの距離」(一文1999)に代表される、ニューメディア社会についての作品である。「まなざしと自己」(二文1997)がその最初のまとまった作品であり、これからは指導のプロセスでも多くのことを教えられた。
- 教えられたということで言えば、「パンにみる日本人事情」(一文1994)と「牛肉の社会環境論」(二文1996)である。こうした「食」についての作品が現れるのも、社会の急速な変化を表現しているのであろう。私自身も、スーパーマーケット、コンビニエンスストアなどについても機会を作って調査中である。その関心も、これら二つの作品がきっかけとなっているのかもしれない。偶然かどうかわからないが、これらの作者は、現在、同じ会社ではないが、商社で仕事をされている。