詳細 Q & A

●「ゼミ(Seminar)」とは何ですか?

文化構想学部の後半の2年間、3年生と4年生を通して、共通の大きなテーマを掲げグループ・ワークを中心に課題解決をしていきます。第一文学部、第二文学部、文学部のカリキュラムとは最も大きな違うところです。演習が90分で1セメスターであるのに対して、ゼミナールは180分4セメスターという長い期間で設定されております。したがって、いわゆる知識やスキルの習得だけではなく、学年を超えて、さらに卒業生も含めた広いつながりの中でコミュニケーションの輪を広げていくことも重要な目的だと考えています。
*セメスターごとに共通テーマを設定してグループ・ワークを進め、合宿でプレゼンテーションと討議を行い、セメスター末にプロシーディングスとしてまとめます。
ゼミ論文は、これらをもとに発展させるのでもよいし、各自の関心をもとに展開していくのでもかまいません。
*2年間のゼミ完走者には、「栄光の森ゼミ記念アルバム」(森 元孝特製DVD)が授与されます。

 

●「現代共生理論」とは何ですか?

*私は、名刺に「社会学者」として刷り込んでおり、いろいろ検索をしていただくとわかるとおり、「社会学者」として認知されているようです。
*社会学は、19世紀の産業社会・市民社会の形成と展開をどう捉えるのかという学問として生まれました。ある意味では、もう19世紀の、とくにヨーロッパのことを社会学で学ぶことはそれほど重要ではなくなりましたが、この関心、社会とは何か、どのように形成されていて、どのように展開していくのかという問いは、今も生き続けています。
*この問いに答えるためには、社会学だけを学べばよいということではありません。19世紀から20世紀前半にこの問いと格闘した、のちに社会学者として著名となった人々、エミル・デュルケム、マクス・ヴェーバー、ゲオルグ・ジンメル、ヴィルフレート・パレート、タルコット・パーソンズらを考えれば、誰ひとりとして社会学から学を始めたわけではありません。彼らの学の結果が社会学となったのであり、法律学、経済学、歴史学、文学、数学、哲学などきわめて多くの学問と関わってきた、その結果が彼らの社会学として結実したことがわかります。
*20世紀後半から現代にまで影響力のある社会学者として挙げられる人々、たとえばアルフレート・シュッツ、ユルゲン・ハーバマス、ニクラス・ルーマンらを考えても、彼らの出発は社会学を社会学として学ぶことではありませんでした。最も重要なことは、社会とは何か、どのように形成され、どのように展開していくのかという問いを明確に捉え、答えをさまざまな学問の知見を総動員して研究していくということです。「社会調査士資格」のような資格を取得することは、こうした基本的関心と実際問題に何の関係もありません。
*そこで、私は永年関わってきた社会学教育そのものからは独立し、社会とは何かを根本的に考えるために「社会システム論」、現代社会とは何かに具体的に応えるために「社会理論」を軸にして、いわゆる「社会学」とは違う、そもそもの関心から学問を立て直すことにしました。一番の理由は、かつての社会学のカリキュラムの基本であった社会調査を、実際に行っていくのが極めて難しい「現代社会」になったということです。ゆえに、紋切り型の資格教育として社会調査が教育カリキュラムとなったということでしょう。
私は、25年の間、つねにいわゆる社会調査ともかかわってきましたし、現在も実際に行っております。社会調査のデータの分析は、社会とは何か、どのように論じることができるかという、いわば哲学的・思想的・理論的基盤が明確でないと、データ収集・整理の作業心得程度のことしか身につきません。重要なことは、データをどのように読むことができるか、知識と能力のほうにあります。このためには、いわゆる社会学という領域にとどまらず、社会科学全般から、サイバネティクス、哲学、歴史、文学の領域にまで縦横無尽に動くことができるように柔軟な思考が必要です。
*私たちは漠然と「社会」についてイメージを抱くことができますが、それが何かは、ただちにわかりません。最低限わかることは、私は、他の人たちとやっていけるだろうかという問いかと思います。したがって、このゼミの基本テーマは、Can We Live Together? ということになっています。
*いわゆる実践ボランティア教育と称して、少なからず大学においてもボランティア実践が教育プログラムになっております。実際に社会活動にも関わってきた経験も踏まえ、これをすべて揶揄するつもりはありませんが、早稲田大学文化構想学部社会構築論系という、たいへん能力ある人たちが集まってこられる大学の学部系統に進まれたみなさんにとって、学部後半の2年間、とりわけ教室を軸に授業が成り立っている世界であることを考えると、ボランティアをやった経験の自慢・披露「口だけボランティア」よりも、まずは社会は何かという関心を明瞭にし、自分の進む道を明確に意識化してもらうことが、より重要だと私は考えていますので、フィールドや調査分析も2年間のうちには含めていますが、「やるだけボランティア」や「学びの体験学習」はここでは行いません。「ボランティズム」は、何よりも「志願」というひとりの強い意志に支えられたアソシエーションであらねばならないことを知る必要があります。したがって「現代共生理論」というように「理論」を強調しています。強い「あなた」をまず作る必要があると考えるからです。
*しかしながら「理論」を強調すると言っても、入っていただくとわかると思いますが、私は、きわめて器用であり活動的であり、知的な守備範囲は広く、早稲田大学広しと言えども、あるいは、社会科学者多しと言えども、なかなか私にかなう人はいないはずです。そういうところで学ぶことは、若いみなさんには、たいへん有意義なことであり、実際多くの多彩な卒業生を、社会に輩出してきました。